motosuke-takedaの日記

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私

【社会現象の周期性】難波先生より

【社会現象の周期性】
 「サンデー毎日」7/27号の広告を新聞で見ると、「難関大(東大、京大、早大、慶大)の学生はこんな企業に就職している!」という記事があり、京大を除き「三菱東京UFJ」銀行がいずれも2位以内に入っていて一番人気だ。学生たちが憧れる企業は、日立、トヨタ、三菱電機の三者がものつくりの会社、関西電力も広義の「ものつくり」か…。後はみずほFG、三井住友銀行と金融業ばかり。
 これを見ると80年代初期の「就職人気業種ランキング」に戻ったような気がする。今就職している世代は、22年前つまり1992年頃の生まれだから、まさに「失われた20年」を生きてきた時代だ。同時に「デジタル・ネイティブ」の世代でもある。
 バブル崩壊後に相継いだ、銀行や証券会社の倒産、リストラの凄まじさと多発したサラリーマンの自殺などの直接的記憶はなく、池井戸潤の「倍返し」銀行小説で知るのみであろう。本誌を読んでいないので、理系学生が多く就職したかどうかは知らない。
 経済活動の成長曲線は、シャーレで培養する細菌の増殖曲線によく似ている。飯炊きでいうと「始めちょろちょろ、中パッパ」、最後に停滞期(プラトー期)が来る。家電、パソコン、ケータイみな同じだ。全員に普及して「成熟期」にはいれば、買い換え需要しかなくなる。ログ期には10%あった年率経済成長率もプラトー期にはゼロに近くなる。シャーレの菌数を数えて、グラフを作った経験があるものなら、それが生命活動の基本法則だとわかるだろう。通貨供給量を増やしたり、年金積立金で株を買わせたりする人為的「政策」で根本法則を変えられるものではない。
 寺田寅彦が「地震と津波」という随筆で、東北の太平洋沿岸部には周期的に起こる大地震があり、それに伴い大津波も発生するが、たとえ大被害が出ても、当初は高い丘の上に居を移した人も、地震と津波の記憶が薄れるにつれ、また低地に戻って行く。だから被災者の側からすると「天災は忘れた頃にやって来る」という意味のことを述べている。
 どうやら同じことは社会現象にも当てはまるようだ。銀行は金貸し業だから、貸した金が戻って来なくなるか、「取り付け」騒ぎが起こったら破綻する。担保価値が下落したらすぐに「貸しはがし」をやる。会社が破綻したらリストラが行われる。
 今や経済はグローバル化しているから、何がきっかけで世界的経済破綻が生じるかわからない。

 人間を商品に見立てるのは不見識といわれるかもしれないが、商品の価格は「需要と供給」のバランスにより決まる。価値と価格はまず無関係である。(マルクス主義の基本的な間違いは「価値」の構成要素を「労働力」と規定した点にある。)そこで、ある職種の人間を作りすぎて(供給過剰で)需要がそれに追いつかなければ、一時期のイタリアみたいに医師がタクシーの運転手をしているというような事態が生じえる。
 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)が述べているように、社会は人間の複合体で成り立っており、個々の人間分子の行動は予測不可能である。社会主義的な計画経済が失敗した理由は実にここにある。
 博士の受け皿としての制度は徐々に拡張、整備されるかもしれないが、供給と需要の間のギャップはすぐには解消されず、受け皿の周りに一時的に乱流のようなものが形成される。一世代を1分とするマクロ的視点で見れば、これが「博士漂流」現象の本質だと思われる。「医師不足・医者あまり」も同じ現象である。博士(Ph.D.)の養成には大学入学から9年、臨床医(病理医を含む)の養成には(臨床研修を入れて)8年かかる。
 理論的には医師国家試験に合格した後、臨床医になるのを断念し、臨床研修をしないで医系大学院に進み医学博士になることも可能だ。しかし、万一の「保険」やアルバイト先の確保のために、恐らく全員が臨床研修をするであろう。この場合、医師の「医学博士」の誕生までに13年かかる。
 大学進学を前にした15~17歳の高校生に10~13年先の世の中が見通せるだろうか…。恐らく親にも教師にも無理だろう。90年代からのバイオ科学・企業の勃興は、博士過剰や雇用形態の変化、研究不正などの新たな問題を生みだしている。マクロ的には瞬間的乱流現象にすぎないが、その渦中に生きている個人にとっては、切実な大問題である。
 科学立国や医学振興のためにバイオ関係の博士を増産せざるをえないが、できた博士の受け皿が不十分で、成果主義の原理が働くので、論文生産をめぐる過当競争が起き、それが「研究不正」に結びつくという事象が発生する。これは日本だけの現象ではない。
 「STAP騒動」には理研広報の過剰宣伝と研究そのものを理解しないで行われた大々的なメディア報道という問題もあった。
 まことに難しい問題で、即効的な処方はORI(研究公正局)の設置しか思いつかないが、メディアのつよい賛同を得られないのは残念だ。